○幸せとは?
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私たちはだれもが幸せを求めています。健康で、長生きしたい。お金も欲しい。家族なかよく、対人関係もスムーズに・・など。それにはどうすればいいか?また仏教ではそれにどう応えているのでしょうか?それらについて考えてみたいと思います。
ではお金さえあれば、健康でさえあれば、幸せなのでしょうか?もちろんそうではないと思います。すべてが自分の中にバランスをもって充たされていることが大切でしょう。ここで私自身について述べる事をお許し頂きたいと思います。
ところで私の父は昭和20年、私が小学校6年生の時に亡くなりました。当時家族は母と祖母、に弟が3人いました。終戦の年で、日本中が混乱の極にあり、食べるものも何もない時代でした。
そしてその時から、長男である私は父に代わってお参りをし、家族を支えていかなければなりませんでした。
友だちが遊んでいるなかで、衣をきてお参りにいくのは恥ずかしい思いがしましたし、とくに年頃になってきた高校生の頃には、下校途中の女子高校生に会うのも気恥ずかしい感じでした。
そういうなかで、恥ずかしいと思うのは自分の弱さだ。何も悪いことはしていないのだからと自分を励ましてきました。
そのうち高校3年生になりましたが、家庭は経済的に苦しく、とても大学へ進学できる余裕はありません。せめて短大へでも行きたいと思っていましたが、叔父からできれば4年制へいかせてやったらという助言もあり、自分のことは自分でするからという約束で進学しました。
そして奨学資金を受け、家庭教師や塾で学資から自分の身の回りのことをまかない、寺の仕事をしながら通学しました。家庭教師もときには午後7時からと9時からというように1日に2回行くときもありました。
そしてやっと卒業を控えて教員を志願していたので、幸い中学校教員採用の学科と面接は合格したのですが、身体検査でダメになりました。過労のため結核に感染していたのがわからなかったのです。
幸いに結核はほんの初期だったので、1年後に全快し、その後定年まで高校の教員として、またそれから高齢者大学の教授として勤めることができました。
そういうなかでいつも頭にあったのは、どうすれば幸せな人生を送れるのだろうかということでした。そして出合ったのが「潜在意識の活用」ということでした。
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○信は力である。(1)
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信じることが、その人の心に大きな力を与えることに気づき始めていた頃、米国や日本でベストセラーになったクラウド・ブリストルという人が書いた『信念の魔術』という書物がありました。
そして心の奥にある潜在意識を活用し、潜在能力を伸ばすという考え方は、その後発行された多くの書物に共通しているように思います。
ブリストルは言っています。「発明や作曲、詩、小説、その他独創的な労作の大きな思想は、みんな潜在意識から来るものだということです。そのものに思念と材料を与え、心の底からの欲求を添えて勝手に仕事をするように念じてご覧なさい。きっと成果が上がってきます」「潜在意識を活用する最も有効な方法は、心に映像をえがくことである。想像力を十分に働かせて、欲求している品物または希望する地位など、実際に欲求するそのものを、如実の姿として、完全な映像として見ることである。世間で、ありありと目に見るようだということをよく言うが、その言葉どおりに、思うことがらを目に見ることである。しかし、最も永持ちする継続的な結果は、信念ないしは信仰から起こるものである。この信仰の不思議な力で奇跡が起こり、何とも説明のつかない不思議な現象があらわれる。」
「現在意識の下に潜在意識があり、潜在意識の下に宇宙意識がある」と言われます。昔から多くの人が述べ、色々な書物に書かれているように、私たちの心を掘り下げて四次元や、神、仏に通じるところへ 持っていくとき、ご加護とか不思議というようなものがあらわれるのではないでしょうか。
しかしただ単に願うだけではなく、それが忍耐と努力という行動に結びつかなければならないのは言うまでもありません。
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○信は力である。(2)
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教員をしていた頃、文部省の教員海外派遣でヨーロッパへ行ったことがあります。アメリカのニューヨークの近くにすんでいるお医者さんで、私の寺へホームステイで滞在し、その後も文通を続けている米国人の夫婦がありました。
私(洪司)が手紙でこの度ヨーロッパへ行くことになりましたということを書きました。
それからまもなくその奥さんから私もヨーロッパへ行くことになっているのです。一度会いたいですね、という手紙が来ました。
しかし私は団体で五カ国を回ります。とても会えるはずはないと思っていました。
ところがロンドンでのこと、自由時間に街を歩いていました。すると「コージ、コージ」という私の名前を呼ぶ声が聞こえます。ふり返っても、まわりは外国人ばかりですから、みんな同じ顔に見えます。そこへマリアンというその奥さんが近づいてきて会ったということがあります。ロンドンといっても東京のような大都会です。その中でたまたま会うということは、偶然以上の何かがあるのではないでしょうか。私にはこのような体験が何度かあります。
それも単に偶然、珍しい人に会ったというのではなく、事前に会いたいという意思のやりとりがあったものです。
これらについて、心理学者として有名なカール・ユングは共時性(シンクロニシテイ)と言っています。
それによりますと、人間の意識を掘り下げていきますと、共通無意識という世界がある。これはテレパシーなどとも通じるところではないだろうか。
また仏教では昔から縁ということをいいますがそれとも通じることではないでしょうか。
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○信は力である。(3)
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ブリストル著の『信念の魔術』と並んで、国際的なベストセラーになった、日本ではダイアモンド社発行で、アメリカの牧師さん、ノーマン・ピールという人の書かれた『積極的考え方の力』という書物がありました。
この本の読後感として、ある小学校の校長先生をした人が、「私が若い頃にこの本を読んでおれば、私の人生はもっと違ったものになっていただろう」と述べていたのが、今も印象に残っています。
小学校の元校長先生といえば、地域社会での信頼もあり、ある意味では「功なり名遂げた」人でしょう。そのような人の感想だけに考えさせられるものがありました。
この本では潜在意識の大きな働きが述べられていて、潜在意識に積極的な考え方を定着させることにより、人生がよりよい方向に進んでいくことを述べています。
ピール氏はキリスト教の説教者としても著名な人でしたが、この本には心の内部を掘り下げていくと神とつながるという意味のことが随所に説かれています。
神様に護られ導かれているという信念、信仰が人生の大きな力になるということでしょう。
私はそこにキリスト教の神と、仏教の仏とに共通するあるものを感じました。
もちろん仏教とキリスト教は根本的に異なる面があります。しかし宗教として通じるところもあると思います。
現在、世界で数多くの紛争が続いています。それらのなかには宗教の違いによるものが多くみられます。
しかし宗教者としての共通点を探り、金子みすずさんの詩の中に「みんなちがってみんないい」とあるように宗教、民族、国籍、イデオロギーの違いを超えて人間愛、思いやりの世界が求められている時代ではないでしょうか。
日本は今、明るい兆しが見えたとはいえ、長引く不況の中で喘いでいます。
神様、仏様に通じる深い心の世界の中で様々な啓示やひらめきを頂きながら、積極的な心の方向づけにより、活気ある力で不況を乗り切っていきたいものです。
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(檀上洪司)
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