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西光寺では毎月「今月の言葉」をお配りしていました。
以下はその一部です。
1.心をリフレッシュ
芸術家は総体に長生きで、高齢になってもしっかりしているといわれる。
画家、音楽家はたえず指先を使っているからだともいわれるが、やはり色々なものにふれて、感動のある生活をしているからだともいえるのではないだろうか。
決まりきったことをし、又考え方であると思考回路がさびついてしまう。
忙しい毎日ではあるが、時には緑や自然の中に浸り、
心をリフレッシュし、新しいものに挑戦し、
回路を広げていきたいものである。
2.宗教の歴史
西光寺の開創は建治元年(一二七五)、鎌倉時代中期で、今から七百年以上も前である。
しかし宗教はまだまだ古い。キリスト教は約二千年、仏教の歴史は約二千五百年といわれている。
いや宗教自体は、もっと古い歴史をもっているだろう。古代の人たちも、それぞれの宗教を持ち、大自然のなかで、病や事故、家族との別れなどの中で悲しみ、悩みながら、営みを続けてきただろう。 そして例えば「あの人が好きだ」とか、「わしはまだ死にたくない」という人間の奥底にある心とともに、肉体の生命を超えて、永遠のいのちを求める願い、またちっぽけな人間のはからいを超えた大自然を動かしている力、宇宙の摂理に対する畏敬のなかで生きていたのではないかと考えられる。
宗教の歴史は人間の歴史でもある。
現代は人間が自分たちの力を過信し、傲慢になっている時代とも言える。
もっと謙虚に神や仏、大自然が私たちに語りかける声に耳を傾けるべきではないだろうか。
3.慣習と信仰
民俗学から見ると、霊の一日と暦の一日は違うそうである。つまり霊の世界では夕方(午後6時頃、暮れ六ツともいわれた)に始まり、明け方(午前6時頃、明け六ツともいう)に終わるそうである。以前はその時間帯に梵鐘を鳴らしている寺院も多かった。
仏教では故人が亡くなられた日をご命日、亡くなられた前の日をお逮夜と呼んでいる。この2日間、おまつりし、初めの日に逮夜まいりをしていた。また中陰の日付も亡くなられた前の日から繰るのもこれに通じるだろう。
おまつりは夜宮(または宵宮)、昼宮と続く。地方によっては午前0時に神事の儀式がおこなわれることもある。
つまり朝、太陽の出る明け方から、夕方までが陽の現世の一日、夕方から翌朝までが、陰の霊の世界の一日ということであろう。
現代の仏教の信仰も、日本の昔からの慣習、人々の考え方、更にはインド中国から伝わったものなど色々の要素を含みながら、ご先祖や見えない大きな世界とともに伝えられてきたといえるのではないだろうか。
4.要領のいい人
昔の軍隊では「要領をもって本分とすべし」ということが陰で言われていたそうである。
なるほどそういうことも必要かも知れないが、「あの人は要領のいい人だ」ということはあまりいい意味では使われない。
要領がよいとは自分ではマイナスになることは避け、うまく立ちまわる意味にとられる。
しかし時にはコンクリートに種をまくように、無駄だと思えても地道に根気よく続けることも大切であろう。
そのうちにコンクリートの割れ目から
青い芽が伸びてくることもある。
5. 常識を破る
ホンダの創立者、本田宗一郎はつぎのように述べている。
「オートバイを出したとき、これで自転車はみんななくなるといわれた。自動車が普及して、今度はオートバイが駆逐されると巷間でいわれた。 ところが実際はどうだろうか。みんな当たっていないでしょう。オートバイも自転車も、形を変えてどんどん売れている。
規制の概念にとらわれることほど、人の考えを誤らせ、道をとざすものはないんです」
ホンダが四輪車を生産しようとしたとき、当時の通産省、つまり国の方針は、新しい四輪車メーカーを認めない、車を作りたければ、トヨタか日産に合併しろということであった。
ホンダはその方針に反発して、国際レースに優勝するなど実績を創っていった。
現在、日本のビックスリーの一つになり、世界主要メーカー販売台数で九位になり、さらに上位をおびやかしている。
これからは多様化、規制緩和。時代のスピード化で日本、世界は大きく変わる。
新しい年に当たり、柔軟な思考と行動で、何が起こるか判らない時代を乗り切っていただきたいものである。
参考
PHP研究所編『本田宗一郎 一日一話』
日本経済新聞社編『日経大予想 二〇〇五年版』
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